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わたしは社労士受験二回目での合格である。一回目はなぜダメだったのか、今でははっきり原因がわかる。思い返せば、当時は教えを請う師もおらず、暗中模索の中で進んでいた。
もし、当時のわたしのそばに、いまのわたしがいたら、合格への道はもっと近かったはずだ。
一回目で合格することも十分可能だっただろう。
■合格体験記を読み通信教育を選択
もともと私の周りには専門知識を生かした仕事を職業にしている方々が多数おり、自分も何か専門的な知識を習得することで自分の資質を高めたいという欲求があった。それはあくまでも自己啓発が目的だった。そして、いくつかの国家資格を取得した。
そして、自信がつき調子に乗った。次は難関といわれる試験に挑戦しよう。
というわけで浮上したのが社会保険労務士試験だ。
改正が繰り返されるさまざまな法規。その特典を受けようとすると、この国は不親切にも申請主義だ。知らないと本当に損をする。とりわけ年金法の恩恵に被りたい。生活に即応しているから、興味・関心はすぐに高まった。
つぎに、手っ取り早くこの試験の概要を把握すべく、まず書店に出向く。そして、合格体験記の載った関連本を何冊か購入した。それらを読み実際に受験するか否かを検討する。目を通しながらも、かなり合格するのは難しい試験だということがわかった。
正直なところ、調子はトーンダウンした。受験するかどうか迷った。
単純に、知識を積み上げれば限りなく合格に近づける試験であればいい。しかし、それだけでは対処できない、この試験特有の特徴がいくつかあることがわかった。
まず、足切りという恐ろしい基準があること。そして一般常識を筆頭とした、対策を講じようにも難しい科目が存在していることもわかった。
合格体験記によっては、いかに合格に至ったのか、その表現が微妙に違っていた。
短期間でラクラク合格できたというお気楽トーンのもの。
一方、かなりの実力者と思われる人が、ご存知のとおり足切りの救済措置でなんとか合格したというもの。じつに様々だった。
とりわけ、何人かは確実にこの試験制度について怒っていた。
合格しても、この試験制度はおかしいという人がいる・・・なんだか、恐ろしい試験だなと感じた。
いずれにせよ、わかったことは、合否にかなり「運」という要素も含まれるということだった。
しかし迷ってばかりでも仕方がないので、挑戦することを決意した。年の押し迫った十二月下旬のことだった。
調べてみると、合格者の多くは通学・通信で受験勉強をした、とのことだった。
わたしの場合、通学は一考の余地もなく地理的に不可能だった。そこで、ある大手受験予備校の通信講座で合格を目指すことにした。
受講料等に5万円近くかかるが、合格体験記にはよく出てきた受験予備校であったので、努力次第で十分合格できるだろうと踏んでいた。
■テキストの意味がわからない
わたしの選択した通信講座は、まず科目ごとの基本テキスト・サブテキスト以外に月刊誌が定期的に送られてくる。次に添削課題を科目ごとに提出する、というものであった。
テキストは講座受講者だけに送られるオリジナルであり、市販されていない。従って、教材が届くまで事前に見本誌すらチェックすることはできなかった。しかし、なんといっても大手なので信頼していた。
ところが、受験テキストを読んでまずビックリ。
「これはいったい何なのだ。これが日本語か!」
おもわず心のなかで叫んだ。
しかし、5万円の投資額は大きい。あきらめるわけにはいかない。
「安衛法」の「シャー」(注@)とかにショックを受けつつ、とにかくテキストの通読を進めた。しかし、さっぱり理解できず焦りを募らせる日々を余儀なくされた。
(注@) 「シャー」とはいったい何なのか、いまだに不明である。(笑)
■講師の驚きの言葉
そんなおり、テキストとともに届けられる月刊誌に「無料ガイダンス実施の案内」が同封されていた。早速、参加することにした。
講師は現役社労士の方で、通学生向けの講義を担当されているとのこと。
はじめて社労士に会った。また、社労士試験の受験生に会ったのもはじめてだった。
なんとなく胸を躍らせながら説明を聞く。
しかし、その講師からおどろきの言葉を聞くことになる。
「ここ(予備校)にも通信講座があるけど、まずこれで合格するのは難しいですね」
「○●△×・・・!?」
この講師の発言にビックリ。
テキストの内容がよく理解できず、なにか突破口でも見つけられれば・・・という思いで参加したものだったので余計にショックは大きい。
ガイダンス終了後、その講師に真意を尋ねるが当然要領を得ない。逆に、講師のほうもなぜここに通信生がいるのかと驚いたに違いない。
おそらく、このガイダンスは通学生募集のための広報戦略だったのだろう。
それにしても、あの発言は確信に満ちていた。したがって、ここだけの話のつもりで言ったのだろう。
■過去問題集の失敗
過去問題集についても大きな失敗を犯した。
書店で購入した問題集をやりはじめたのはいいが、なにしろ誤植が多く、辟易した。新刊だったが、ほとんど校正なしに本になってしまったような恐ろしい問題集だった。
しかし、知識ゼロのわたしにその間違いがわかるはずもない。
テキストで問題集の訂正箇所を校正しながら解いていくという、なんともお粗末な展開となった。
これは実に教訓になった。ここで声を大にして言っておこう。
「新刊本は買ってはいけない」と。
ちなみに次の年にはその問題集は販売されていなかった。おそらくクレームが殺到したのだろう。
■半分あきらめ
こんな足踏みをしながら時間は過ぎていった。
そして、四月に受けた模擬試験はまったく振るわず平均点以下。前途多難を感じた。
やるべきことが山積みされていたので、不安から白書も買ってみた。労働法全書も買った。
しかしテキストを読んでいても、科目間の微妙な違いなどが出てきてますます混乱してくる状態であった。
そこで、書店で横断本を買った。被保険者の範囲の違いなど、項目ごとに科目間の比較ができ、試験科目全体のイメージがなんとなくつかめてきたような感じがしてきた。
視界が開けてきたような気がした。
しかし、それは気休めにすぎなかった。
七月の本試験(注A)では、問題を解いていくと次々に見たこともない選択肢が出てきた。解きながらだんだん情けなくなってきたことを思い出す。
受験が終わって、いったい何点取れているのか、皆目見当がつかなかったほどだ。
結局、一回目の受験は惨敗に終わった。
ここではっきりわかったことがある。それは、
自分は、『合格力』を身に付ける術を知らなかった
ということだ。
(注A)現在、本試験は八月に実施されている。
■間違っていた方法論
試験が終わって冷静に一回目の敗因をじっくり分析することにした。
原因ははっきりしている。まず勉強不足で実力がなかった。しかし、それ以上にそこに至るまでのプロセスに大きな問題があったのだ。
まず、どの教材も中途半端になってしまったということだ。
いろいろな教材を順番にやっていこうとすると、よほど時間のある人でないかぎり時間がなくなってくる。
そうではなく、メリハリのついた学習をするべきだった。
しかし一回目の勉強中は、そういった基本的なことすらわかっていなかった。
一回目は、出題範囲の広さ、やるべき教材の多さに驚き、不安を抱いた。
おろかにも、すべての教材をなんとかこなそうとし、一方で何も完全にできない自分に焦燥感を募らせてしまうだけだった。
そこで二回目はやるべきものを絞り、完璧をめざした。
また、一回目はできれば合格したいと思っていた。しかし、模擬試験などで自分の実力を知るにつけ、今年はダメなんじゃないかという一種のあきらめがでてきていた。
二回目はなんとしても合格すると強く念じた。知識の習得以外に、どうすれば合格点をとることができるか ― いかに『合格力』を身に付けるのかを念頭に置いた。絶対に合格できると信じて机に向かった。
ここでまた教訓を得た。
今年は(も)ダメなんじゃないかという人に勝利の女神がくることはない。
なんともまあ、当たり前のことだ。不安は人を後ろ向きにする。
こうして、二回目の学習は順調に進んでいった、といいたいところだが、じつはそんなに簡単なものではなかった。
■二回目のリベンジ
二回目の受験勉強は、七月の本試験終了後すぐ始めた。
その時期はまだ次年度向けの教材は発売されていなかった。そこで、前年度向けのものではあるがテキストと過去問題集を書店で購入した。
最初の一ヵ月くらいは、科目ごとにテキストをある程度読みこんで過去問題に挑戦してみるという流れで進んでいった。
しかし、問題がまったく解けない。テキストの内容を十分把握しないまま問題演習に入るため、問題が解けるレベルにいっていないのだ。
そこでまたテキストに戻って該当箇所の振り返りを行うことになるのだが、非常に時間がかかる。ペースダウンだ。焦りを呼ぶ。
しかも、テキストを繰り返し読んでもなかなか問題は解けるようにならない。
今年もダメか。モチベーションは維持できない。
時間がかかるため、その時点では回答できた問題もその経過とともに忘れてしまう。知識が身に付いていなかったのだ、と自信喪失に陥る。
悪循環だ。
努力はしているが、なかなか力がついたように感じない。勉強後に達成感が味わえない。かなり焦りを感じていた。
ふとわれに返った。
そうだ、その繰り返しが一回目だったのだと。
そこで、問題演習を通してテキストを理解していこうと思った。
次年度向けの教材が発売されると、さっそく演習中心の通信講座を申し込んだ。十月のことであった。
まったく科目の概要を知らない状態で問題に取り掛かると空回りするかもしれないが、幸いにも一回目の学習で各科目の大枠だけは把握していた。
ここからすべてが好転しはじめたのだと思う。
また、今回申し込んだ講座は教材セットにカセットテープも含まれており、講義を聴けるものであった。これは幸いだった。
実はカセットテープによる講義に対して、大きな期待をしていたわけではなかった。
ところが、聴いてみて驚いた。
テキストでは理解しにくいポイントが音声だけの講義だというのに、聴くだけで理解できるからだ。
例を挙げよう。在職老齢年金の停止方法の計算式をご覧になった方はいるだろう。
それは数式で書かれているが、ガチガチ文系のわたしなどはその計算式がどういうことを意味しているのかまったく理解できなかった。
それが、講師の説明ですぐに理解できたのだ。くどいがカセットテープなので視覚を介さず聴覚だけに頼る説明だ。
「これが講義の威力か」と思わず感心してしまった。
さらにカセットテープ講義は通勤途中にも聴くことができる。わたしは自動車通勤であるため、ここでも新たな勉強時間が確保できることになった。
ちょうどこの年は教育訓練給付金が創設された年だった。創設当時は、八割給付で最大二十万円まで支給された。その制度のもと、受験生は高額の講座を受講しやすい環境にあった。
わたしもこの制度ができたおかげで高額なカセットテープ付き通信講座の購入が選択できたのだ。いまになって思うと、大変感謝している。
次に、新しいテキストを購入することにした。市販のものをじっくり比較検討して購入した。
本試験までずっと使っていくものなので、ここでいい加減に決めてしまうと後で苦労する。一回目で十分懲りたので、かなり慎重に選んだつもりだ。
一冊でコンパクトにまとまったもの、科目ごとに分冊になっているもの、どちらが良いか。その判断に迷うところだが、わたしは分冊のものを選んだ。
それらの分量はとても多い。しかし、わたしは構わなかった。
すでに問題演習を中心軸に置くことを決めていた。従って、テキストは参考書であり、全てをマスターしようとは考えなかったのだから。
振り返ってみると、一回目には見えなくて、二回目に見えてきたことはたくさんある。
もちろん、講座の内容が一回目のときの通信講座とは雲泥の差はある。しかし、メンタル面にも同じことがいえた。なにより危機感があったのだ。
投資額の大きさにやってしまった、という思い。さらに、自分の置かれた環境の変化。それらが相まって、この試験にかけるという心境に変わってきていた。
二回目は「今回はどうしても合格したい。」それを強く思った。
いかにしたら合格できるのか。あらゆる邪念よりそれが勝っていたように思う。
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